内面をすこし知ってほしくなったのと、自分の中から出てきた抱えきれない気持ちがなんなのかを整理しておきたくて、ぐちゃぐちゃのまま吐き出したあまりに自分勝手で個人的で気分の悪い被害者ヅラの昔話です。ごめんなさい。
でも、読んで知ろうとしてくれたらすごく嬉しいです。
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わたしは小さい頃、ずっと死にたがってました。元々変化に弱かったわたしは、実の父との離別や再婚などで変化した環境についていけませんでした。突然後ろから底のない沼に引き摺り込まれてどうしたらいいか分からず、もがけもしないまま深くまで沈みました。
すぐにおとうさんが海外転勤になって、幼稚園の後ろ半分と小学生の前半分は中国にいました。国際電話用のカードを買わないと、日本にいる家族に連絡もできなくて、隔絶と寂しさを感じる環境でした。それ加えて、家庭内の空気がとにかく最悪でした。おとうさんの地雷を踏むと、機嫌がなおるまで、わたしたちはいないみたいに無視されます。何回謝っても、どう媚びても、何時間泣いても許してくれません。気難し屋さんでした。おとうさんの機嫌がいい間は自分も笑っていられました。
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おひっこしの後は、中国にある日本人用の幼稚園に通っていました。ある日、近いうちに幼稚園でやるお祭りにおとうさんとおかあさんと一緒に行けるってことになって、楽しみにしていました。でも、お祭りの当日にわたしがおとうさんの機嫌を損ねてしまって、約束の時間になっても部屋から出てこないから、媚びるように「パパ〜!今日楽しみだな〜!」って言いながら近寄ったら、おとうさんは「へえ、そうなんだ。俺は行かないから2人で楽しんできたら?」って言いました。
家族みんな仲良しでお出かけすることに憧れていたわたしは、どうしても一緒に行ってほしくて、すごく焦って、泣いて、無い知恵を振り絞って土下座をして謝ってお願いをしたけど、おとうさんはやっぱり許してくれませんでした。おかあさんはすごく怒って、おとうさんと言い合いをしたりして、小さいむすめにここまでするなんておかしいとか、むすめがこんなに望んでることなんだからって、なんとか一緒に行けないか交渉をしてくれたけど、声が返ってくることはなく、いつものように無視がはじまりました。
おかあさんはそれまでもその間もその後もずっとわたしのことを守ってくれてたけど、傷は癒えませんでした。だって、その時にわたしを傷付けたのはおかあさんじゃないから。それに、その頃にはおかあさんも傷だらけで、がんばってわたしを庇ってくれるから余計に傷ついて、それもつらかったです。再婚したのも、理由のほとんどはわたしのためだって知ってました。
だから、わたしのせいです。小さくて何も分からなくて、好きな人が自分を庇うために傷付いてるのを知っててもどうにもできないくせに、呑気にわたしが存在していたせいです。
それがわたしの絶望の始まりでした。それまでは甘えたら甘やかしてくれる人たちに囲まれて、能天気に生きていて、悪意を知らなかった幼いわたしの初めての学びとしてはあまりに充分すぎて、そのことがあってからははっきりと全てが絶望に覆われてしまいました。
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それでも家の外の世界では友達がたくさんできました。
年少さんの頃に仲良くなってからずーっと2人でいた、すごく大好きなお友達がいました。その子は年中さんの途中で日本に帰ってしまいました。取り乱したかっこわるいところを見せたくなくて、直接言えなかったけど、本当はずっと、もっとその子と一緒にいたかった。幼稚園だけじゃなく、小学生、中学生、その先も隣で仲良くしてたかったです。
大好きな可愛いお友達。その子もわたしのことを「ニーナちゃんは親友!いちばんだいすき!」ってよく言ってくれて、恥ずかしいけど嬉しくて、ずっとずっと仲良しでいたいなって思ってました。
お揃いの靴、くれた絵手紙、「これ、ニーナちゃんに使ってほしいんだ」って言って照れ笑いしながらくれたかわいい飾りのついたヘアゴムの片っぽ。全部全部大好きで大切な宝物だったのに、いなくなっちゃうんだって気持ちと、日本に帰れていいなあって気持ちに黒く塗りつぶされて、そのうちそれだけに覆われて、ひっくり返ったみたいに絶望の象徴になりました。その頃のことはあんまり覚えてないけど、見てるのがつらくてすぐに捨てちゃったと思います。
いなくなるの嫌だなあ、わたしも日本に帰りたい。何かの奇跡が起きて、同じ時期に帰国できることにならないかなあって思ってました。何かあれば帰れるかな、ぱぱ、しんだりしてくれないかなあ、って。
毎日毎日寝る前に泣いて。日本に帰りたい、それ以外は何も欲しいって贅沢言わないから、だからお願いします…。って思いながらお祈りするみたいに窓からお月様を見上げて、神様お願いしますって心の底から願って、それでもやっぱり当たり前に叶わなくて。
その頃からふんわりと、ずっと絶望は絶望さんという形を持ってそばにいてこっちを見ている気がするようになりました。受け入れられなくて、内向きな気狂いになったんだと思います。同時に、自分が期待したものが何も手に入らなくなりました。
お友達のお家にお泊まりする計画は当日の朝にお友達が熱を出して立ち消えの電話。お友達家族と旅行に行く計画は台風で飛行機が飛ばず中止。日本へ一時帰国するはずの予定は直前におとうさんの機嫌がわるくなって帰れなくなり、日本から遊びに来てくれるはずだったお友達もおとうさんと揉めて直前で来られなくなったって聞かされて。ぜんぶぜんぶ、きょぜつ、ひていされたような、そんなきぶんでした。
それよりも悲しかったのが猫ちゃんのことです。ある夜、部屋で1人で絵をかいていたら、おかさあんとすごく仲のいいお友達から、「猫を拾ったけど自分では育てられないから引き取ってくれないかな?」って連絡がきたんだって、おかあさんがわたしに教えてくれました。そのあとおとうさんに許可をもらって、すぐにその猫ちゃんを引き取りました。わたしと猫ちゃんが一緒にいられたのは二週間、三週間くらいだったのかな。ある日帰ってきてすぐ、それまで「うちで飼えばいいじゃん」と言っていたおとうさんは、「俺、ネコアレルギーが出て、それがひどくなってきたから他に引き取ってもらえるところ探して」って言いました。
もう、何回もこういうことがあったから、どこかでそうなる気がしてました。わたしは猫ちゃんのことがすごく大好きだったし、心の支えにしてたから、ずっと一緒にいたかったけど、おとうさんがそう言ってから何日か後には猫ちゃんはおかあさんのお友達の家に引き取られていきました。
そのあとそのお友達の家に何回か遊びに行って会ったけど、猫ちゃんはわたしのことをきっともう覚えてないんだろうと思いました。わたしと一緒にいるより、そのお友達の家にいた方が幸せになれる気がするなって、本心でも思っていたし、そう思うしかありませんでした。
引き取り先が見つかるまで、おかあさんが猫ちゃんのために必死に何件も電話をかけているのを知っていたのに、わたしは心の奥で「見つからなかったらもっと一緒にいられるのかな」って思っていました。
追撃のように、絶望さんはどんどんわたしの中に入ってくるようになって、希望は持ったらダメなんだなっていよいよ諦めがついたのは付録のシーモンキーでした。毎月買ってもらってた小学生向けの雑誌、後ろの方のページに、次号の付録はシーモンキーだ!って書いてあって。初めて見る生き物だったから不思議で、知りたいし育てたいって楽しみにしてたんです。
家にいる時間はずっとおとうさんの機嫌を取らないといけないと思っていて、だから、家の中はすごく窮屈で、逃げられない牢獄みたいで、嫌で嫌で仕方がなくて。でも、家に生き物がいたら少しは楽しい気持ちになれるかなっていう希望をまだ持ってるせいで余計に期待してました。
それで、育てるからには責任を持たなきゃ!ってそれからほぼ毎日学校の図書室に行って、シーモンキーってなんだろう?とか、何食べるのかな?どんな生態なのかな?って調べてました。あと何日寝たら家に来るかな?っておかあさんとお手伝いさんに毎日聞いて。それで、いざ船便で届いた箱を開けたら、『検疫検査で引っかかるので今月号の付録はなしです』って紙が挟んであって、もうだめでした。
自分の中では付録くらいなら楽しみにしててもいいよね?って、自分の器におさまるくらいの身分相応な小さな楽しみのつもりでした。でも、それすら身分不相応に大きかったんだ、だから、わたしの手には入らずにすりぬけてどこかに落ちていくんだって思い知りました。わたしは本当に何一つ欲しいと思っちゃダメなんだな。って。
それが最後のひと押しになって、完全に心が崩れました。
続
