思考している人がすき。自分の感覚を信じている人がすき。陰のある人がすき。トンチキ話を笑って受け入れてくれる人がすき。分からないところを理解してくれようとする人がすき。
考えて話したことを素敵だと言ってくれる人なら一層すきです。考えたことを教えてくれる人も。
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わたしのつくったわたしのせかいのキャラクターたちはわたしの大切な惑星の住人であり、その世界の中で、なにかを動かす存在としてわたしが存在すると信じている人にとってわたしは存在するし、その住人がそうだと信じた名前で呼ばれるだけです。
なにかしたことをその住人の良いように勝手にいじくりまわされたとしても、その詳細を知ることもないし、話しかけてこなければ自分から干渉しようと思うこともありません。
統合失調症だと吐き捨てられればそれまでです。罵られたら多少気にしますが、わたしのつくったばしょは共有されることがないので、侵害されることもありません。だれかがわたしのつくったひとたちを知ることもないでしょう。
自分のつくったもので生きていかねばならないかもと思わなくなってしばらく経ったので、余計な考えもほとんどすべて忘れて、幼い頃とおなじように素直なたのしさを感じるところまで戻れた気がします。
たのしく、ほどほどに。
感じていないことを感じていると嘘をつくことは出来ないと思いました。
一番たのしいと思うのは、感情が湧き立つのは、音楽に触れている時です。好きな曲を聴いたり、好きなバンドのライブを観ているときと、人と気持ちが通じたと思うときは爆発的にたのしく、うれしいです。
それ以外で激しい気持ちを自発的に覚えることはあまりありません。負の感情はまた別ですが。諦めているとかでもないと思います。
そういえば、個人比で、がんばっちゃう!今おれは灼熱の太陽並みのやる気だぜ!となっているときでも周囲の人から熱くみられたことがないです。
むしろ、つまんなさそうにされても困るからちゃんとやる気出してもらっていい?と言われて、えっ……(悲)てなったことをかなり具体的に思い出しました。
ああん!こんなん思い出しとうなかった!嘆!
言ってきてる人が誰と比べてどのくらい何を求めてるのかなんか分からないので、言われたことをやったり自分で考えて努力してみて、それでもだめならポップに諦めまーす!って感じですわね。
どうしても関係性を諦めたくない人ならコツコツ擦り合わせられるように必死こきますけどねー、みんながみんなそういう人なわけじゃないので。
取捨選択ト、イイ塩梅、ダイジ。を、されたりしたりしてるわけですなー。
まあ、そんな感じです!
