おしらせ 瞑目のMVを公開しました

天地一対

ここ最近、すごく素敵な日々を過ごしています。こんなに楽しいなら生きててよかったと言っちゃうくらい嬉しい時間です。楽しくて嬉しくて最高な動的な日があって、二つで一対のもののようにすごく静的な日のことも考えます。

死ぬことってなんなのでしょう。わたしは、自由度が高い透明人間になるようなものだと思ってます。ジョブチェンジみたいな、形態変化みたいな。散々ぐちゃぐちゃ考えて、そうなら楽しそうでいいなと思うからそう思ってます。でも、どんな考え方をしていても、現実に起こる大切な存在の死は受け入れるまでに時間がかかります。
だって、いやなもんはいやで、喋れなくなったら寂しいんです。どれだけごちゃごちゃ考えようが、結局はそれがほとんど全てでした。

死について身近に感じる機会は多々ありました。幼稚園児の頃は砂抜きされてるアサリや捕まえてきた虫。小学生の頃は学校で飼育していたちょうちょ、カイコ、ザリガニ、ハムスター、メダカ。中学生の頃は可愛がってくれていたご近所さん。高校生の頃は友人。それ以上になるともう嫌ってほどたくさんです。小さい頃は、みんなおじいちゃんおばあちゃんになってその後に死ぬんだと思ってたけど、中高生の頃には年齢なんて関係ないんだと知りました。
関係性が深いほど、当たり前のように受け入れ難くて信じたくなくて、何日も何ヶ月も落ち込みました。何年経ってもいまだにどこかにいるような気がすることもあります。今どうしてるのかな?とか考えたり。誰かの言う「体がなくなっても忘れなければずっと思い出の中で生き続ける」という言葉を深く理解する日が来ると思ってませんでしたが、理解出来て良かったと思います。

死についての話は繊細だと思います。全ての事象に当てはまることでもないし。と、思ったけどあれですね、全部のことがそうですね。誰かの言う定石なんてさほど当てにならないことも多いです。

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肉体的な死に限らず、縁が切れた人たちも自分にとっては死んでるのと同じです。一切の交流がなければ、自分と相手の間に動くものがないからそう思うんです。
だから、自分が仲良くしたいと思っていた相手とうまく関われない、あるいはこれ以上は関わらない方が良いなと感じたときにすごく落ち込みます。自分の中でそういう人は底に沈めて見えないようにして忘れるしかない箱に入っていて、そこに入れるのも自分だからです。全部自己責任の自縄自縛なんです。相手にどこまでも合わせたらきっと関わり続けることは出来ると思うけど、そんなことしたって結局楽しいと思える日が来るとも思えないので、する気にはならないし。
本当は色々ともっと臨機応変で軽く考えていいものなんだと思いますが、なかなかどうしてちゃんです。

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ずっと何言ってんだよという感じですが、大公開状態の独り言です。思ったことを自由に外に出すのは悪いことじゃないと学んでる最中です。まだほやほやなので足が震える時があります。
でも、そう思いたいから思っておきます。違うと言われてもきっと聞けないのですが。

ではまた✌︎