おしらせ 瞑目のMVを公開しました

自意識と面 後半

少し話が戻りますが、自分がこう思われたいなあと強く思った時、もし自分が物だったら抉れないんでしょうか。人間の場合でも「自分はこの人が好きなので相手からも好かれたい」と思ってる状態で話しかけることは悪いことではないはず、ですが好かれたい気持ちばかりが大きくなると余計なことまで考えすぎてしまいます。
んー、好かれたいという言葉よりも、受け入れられたい、拒絶されたくないってニュアンスの方が合うかもしれません。

鉛筆がもし「俺は線や文字を書くぜ!」と思っていたとして、それは作られた時に任された役割のようなものを全うしているので、当然可能なすばらしい気持ちとして扱われるんでしょうか。
いや、素晴らしいとか素晴らしくないとかじゃなくて、役割とかでもなくて…。なんだっけ。わからなくなってきました。ぬかるみに足をとられましたね。うーん…。

人間関係は全部相手と自分次第で論理のあるものではないから、思考でどうにかしようとすると「解なしですよ!」ってなって、深みにはまるのかな。昔からなんとなくそう思ってる(分かってる?)けど、自分が上手くできなかった事実を受け入れるのは今でもこわくて、正解を探す時があります。相手が不快な域までは干渉しない、そのうえで自分の気持ちも大事にすることが精神的に健全だってどこかでは分かってるんですが、まだスマートにそうできません。
どこまでも1:1の関係なので、執着とまではいかない執着みたいな感情が生まれて、好かれたい欲が溢れちゃうのであわあわするんだと思います。自分が好きだと思う人には尚更好かれたい気持ちがいっぱいになっちゃいますしね。まだまだ経験の浅い未熟者です。お恥ずかしい。

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小さい頃に好きなものや人を好きって言ったら周りに茶化されて嫌な気持ちになったので、言ったもん負けみたいな言葉だと思ってました。バレたらバカにされるから、大事にするために隠しておくようになって。
すごくぼけーっとしている性格だったので、悪意があることをあまり分かってなかったのかもしれないです。歳を重ねたら重ねたなりの行動や考え方があるなんてことも理解してなくて、好きって言葉に恋愛の意味が含まれるようになったことにも気付いてなかったです。
だから、好きな人達やもののことを好きって言うことがバカにされるなんて思ってもなくて。逆に、嫌いなものや人を嫌いって言ったらすごく怒られて、みんな好きって言わなきゃダメみたいな雰囲気もあったりして。なにも分からないうちに何もかも変わって知らないものになったような感覚でした。全部よく分からないものなのかもって考えて、びっくりして、怖くて、過剰に自分を守るようになった気がします。

これ、周りの奴らが悪い!とか、世の中は悪で自分は善性が強かった特別人間!とか言ってないですからね。幼い自分が己の感性と周りとのズレに気づいてビビって怯え散らかして性格を拗らせましたというだけの話です。
で、そこから十数年間は逆張りツンギレMAX過剰防衛爆弾人間みたいになってたので、そう考えると今は老若男女物事全て関係なく好きなら好きと伝えられるし、自分の心地良い言動ができるように少しずつ成長してるんだと思います。精進しなければ。

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今思い返すと、好きなものを好きと言わなくなってからすぐに強い言葉を使っている曲を好んで聴くようになりました。自分が出せない感情を代弁してもらってるような感覚だったんだと思います。今も感情をまっすぐどかーんと表現している人たちが好きだし尊敬してます。だってキラキラしてるしかっこいいから!

なにか最近色々と考えることが多いです。季節の変わり目だからかな?

ではまた✌︎