続
それが、線で結びすぎている箇所があるかも?ということでした。きっかけは数日前に見た、「爆発的に売れたりとかを考えてるわけじゃない。自分の歌が誰かに届いてるって分かるとそれがすごく嬉しい(意訳)」というバンドマンの方の言葉でした。本当に印象的で、その日もちょこっと日記に書いたけど、今日改めて腹落ちしたんだと思います。
「作品を作ること」と「誰かに評価されること」は私にとって癒着していました。癒着してようが綺麗な線で結べてようが、自分にとっては内側にあるひとかたまりの線なので、違和感があっても何が原因なのかまで気付けてなかったんです。だから、評価されなければ作ってる意味がない。と思っていて、ほとんど脅迫観念みたいな感じでものを作っていました。
それまでの自分にとって、「多数の誰かに評価されるために作品を作っているわけじゃない」という言葉は、どこか自分を守るための言葉に聞こえていたのかもしれません。でも今回、本当に言葉通りなんだ!って分かったんです。
こう考えるようになったきっかけはわかりきっていて、小学生の頃の図工の時間に自分が描いた絵を大声で教師に馬鹿にされたからです。思い出すといまだに嫌な気持ちになるくらいの生傷です。自分が後々の責任まで取れない突発的な行動を取るのは本当にやめましょうね〜と思うようになったきっかけでもあります(憤怒)
本当に何回も何回も同じことを思って感じて書いていますけど、自分がたのしく作ったものが完成してうれしくて幸せなら、誰に評価されなくてもいいじゃない!っていう気持ちがかなり欠如していたんだと痛感します。もう、いちいち誰か(と言ってるけど誰でもいいわけじゃないんです。その時々で評価されたい特定の人がいます)に評価されたくて仕方なくて。というより、貶されたくなくて。
でも、誰かが工作したものを誰が貶せるっていうんですか。貶すとしたら基準はなんですか。その人が作るものや人間性は自分にとって素敵で美しくて、発する言葉にも一切の文句もなく全部受け入れられるものですか?という話なのです。
例えば、小さい子が作ってくれた折り紙や描いてくれた絵を、これはここがダメでさ、これ骨格おかしいし色使いも変だよ!なんて言いますか?言うとしたらそんなこと言う人は嫌いです。基準なんて人それぞれなのに、わざわざ誰かを貶す必要なんてないじゃないですか。それは大人になっても同じじゃないの?と、思います。
ていうかまだ全然熱入るくらいの怒り具合だし、がっつりトラウマになってるんだろうなー!!大声で馬鹿にされた時の体が冷たくなる感じも、クラスの子が一斉にこっち向いてきたときのたくさんの目も、思い出すと手が震えるほど嫌だった感覚が残ってるんですよ!そんで、ものすごい傷付く体験をするとその時の自分が精神的に残って同じようなことに引っかかるんですって!心理学のなんかで聞きました!くそー!教師がちっちゃい子にトラウマ作ってんじゃねえええ!
まあでも昔のことだし、自分で乗り越えるしかないし。少しずつ自分がムフ!いいものできちゃったわね!と思うような色々を作っていくしかないんだと思います。本当に。
でね、絵も文章も写真も誰に見られてなくても気にしないのに、音楽だけは気にしちゃうのは執着なんだと思います。これはもしかしたら褒めてもらえるかも!って思ったんですよね、幼い頃のわたしは。ベース上手だね!と言われるとニヤけちゃうし、歌も褒めてもらえることもちょこちょこあってすごくすごく嬉しいのです。執着しすぎるとあれですけど、ほどほどに褒めてもらいたいって気持ちは向上心に繋がるのかもなあとも思いました。
努力しないままの状態で溢れるほど褒めてほしいとも思ってないので、頑張ったらその時は身分相応(自分がこれは良いぜ!と思う状態になるくらいってことです)に褒めてほしがりたいとおもいます。
何回同じ内容をごちゃごちゃ考えて、同じ結論出すんじゃいという気分ですが、本当に解決策はこれしかないんだと思います。もうついちゃってる傷はなかったことにできないしね。極限まで薄くして気にしないくらいまで回復させるのが良いんだと思います。
はあ、今日は文章に感情がのってる気がします。たまにはいい…?いいか。
ではまた✌︎
