今日はメニューにないはずのヨーグルトソフトクリームの注文を受けて、なんとかしてさっぱりしたアイスを作らなくてはと挑戦してみる夢。結局シークワーサーのジュースをかけて持って行ったらこれいいねって言われたところで起きた。
ーーー
人と何か意見などがぶつかった時、引けるものはすぐに引きます。自分にとってどうでも良いところで相手と小競り合いみたいなことをするのがめんどくさいから。勝ち負け、良い悪い、強い弱いとかじゃなくて、その先も関わる人と今その意見が合わないだけなら気まずくならない方がいいじゃんと思うのです。しかしこれは社会性ではない。だって自分がこだわってるところがぶつかったら絶対引かないから。
でも、昔は意見の内容に関わらず、誰かに自分の意見をのませることに固執してたような気がします。とにかく何ひとつ引かなくて、食ってかかるように態度と言葉遣いで威圧するんです。自分が威圧されたと思ったら、いつまでも執念深く覚えておいて相手の面子を潰すチャンスを伺ったりとか。今ならしませんねえ。
なにかを守りたいから闘うとかでもなく、ただ自分の中にあるコンプレックスとかトラウマを誰かに押し付けるために挑発して闘うように仕向けるっていうのは全然違うなと思いました。
何でそんなことしたがるようになったのかは考えておかなきゃいけないなと思って突き止めました。小さい頃に味わった無力感とか絶望みたいなものは自己否定としてすごく長い間、納得できなければ、もしかしたら死ぬまで自分の中で根深く残るものなんだなと思いました。
なった原因を突き止めて、全部責任をそこに押し付けるために考えたということじゃないです。今の自分が嫌だなと思ってる問題を解決するためにしたことです。その目的を間違えるとすごく大変で、ただ嫌なこと思い出してギャースカ騒いで結果何も解決できないっていう、精神的自傷行為の時間が始まります。それも何回も経験したけどしっかりぎっちりつらいし、出来ればもうしたくないです。まだするときもあるけど。
他責思考の時って、自分を守ってるようで実はメッタメタに攻撃してるようなものなのかもなーって思ったことがあります。感覚的な話で理論とかは何もないのですが…。
ーーー
自分で思い出しても、うわ嘘だろ!って思うような時が大いにあるから今グワー!ってなってる人のことを責めないでいようと思っている気持ちがあるのは確かですが、昔の自分のことは正当化はしたくないです。やったことはやったこととして受け入れて、もうやりたくないことをしないでいられるだけ気持ちの余裕を持って生きていきたいです。
余裕を生むには、やっぱり楽しいことすることですかね?あるいは楽しそうな人たち(自分が好感を持っている人に限った方がいいかもしれない)を見ること。
でも、無理矢理気分あげていきますよ!が良い時と、中途半端に気分あげずにどん底まで落ちますわ!が良い時、どっちもありますからねえ。自分は今どっちの気持ちなんだろうって見定められるようになるとすごく楽だと思いました。
ーーー
たまごっちパラダイスはちゃんと攻略本見ながら育成してるはずなのに全然いるかっちになりません…。なぜ…?
ではまた✌︎
