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アイデンティティ仮面 後編

つづき

で、それは自分によく似ている自分以外の人というだけでなく、自分の中にある別の側面にも言えることなんじゃないかと。

個人的には、自我というのは曖昧なものだと思っています。揺らぎもあるし、変化もするのが当たり前というか。
でも、揺らぎがある時に、主に自分はこういうものだと思っているところと、それとは別の性質を持った側面が癒着してしまったらどうなるんでしょう。

友達と遊んでいるときと仕事中では外に出す側面が違うように、複数のコミュニティに属している人は、都度みせる側面を切り替えて生きていると思います。
その側面が本来の自分の性質と乖離していると、癒着した時によりつらく苦しむことになる気がするというのがわたしの意見です。
例えば、まったりゲームや手芸をするのが大好きなインドア派の人が、他者からの評価を気にして無理して頻繁にトライアスロンしてるような感じというか。
うまい例えが見つかりませんが、つたわれ〜。

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ほんで、自分でつらいと思うほどの側面作り出してしまったときは、切り離せるなら切り離すのがおそらくよいんだと思います。
が、それが無理ならどうしたら癒着を痛くならない程度に抑えられるかを考えるのが、次点でよいと思っています。

書いてみると、ケッなんだよ!よく聞くようなことだな!ってくらいの内容なんですが、これがなかなかどうして、言ってるほど簡単ではないんですよなー。
自分がやってみた時はかなり苦労しました。
わたしは学生時代、アイデンティティを外側(他者からの評価や奇抜な外見)に求めたり、固定化させようとしていたので、それをやめたら自分というものの個性がなくなるのでは?と恐れていたのが苦労した原因だったように思います。

アイデンティティや承認を他者に求めたら崩れますよ。自分で自分を認められてなければ、だれになにを評価されても浮き上がれるのは基本的にその場限りの気分だけです。暖簾に腕押し状態です。
言い切るのはすきじゃないけど、これは結構つよめに言えます。

ちなみに、わたしは恐れていた部分を勇気を振り絞って変化させても、自分の本質はムカつくほど何も変わらないもんでした。
今思えば内面のなにかではなく外見を変えただけなので、本質が変わるわけねえだろってかんじですが、その時は本気で変われると思ってたんですよ。青いですね。

奇妙な髪型にしていた。よくある髪型にしても何も変わらない。
素朴さを褒められてそれに縋っていた。ピアスをあけてみてもなにも変わらない。
黒髪を褒められた。髪を染めてみても何も変わらない。
ツンデレだと評価されて面白がられた。落ち着いて取り繕えるようになっても何も変わらない。

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